【ヱヴァ】クライマックスで四つん這いになる法則

何故なのか。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ、クライマックスシーンの共通点。


と、3作品とも主役が「這って進む」というシーンが登場します。
結果はどうあれ、シンジが自分の意志で行動を決める印象的なシーンです。
さらにもう一つ、クライマックスでの共通点として挙げられるのが「エントリープラグからの救出」


ヱヴァ:序:エントリープラグの扉をこじ開け綾波を救出


ヱヴァ:破:エントリープラグを突き破り綾波を救出

ヱヴァ:Q:エントリープラグの扉をふっ飛ばしてアスカに救出(される)
単に作り手の好みの問題?
「繰り返し同じ展開」という点では、新劇場版が始まる前に発表された庵野総監督の「所信表明」も思い起こされます。
庵野秀明総監督 所信表明
「エヴァ」はくり返しの物語です。
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
わずかでも前に進もうとする、意思の話です。
曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。
「主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です」の所を見ると、這って進むのはシンジに与えられた試練なのかなぁとも。
以上、小ネタでした。
関連情報
◆『ヱヴァ:Q』碇シンジ、ピアノ連弾中の珍事
◆【ヱヴァ:Q】2度輝くアスカの眼帯
[エヴァストア本店][![]() |
この記事へのコメント
旧劇ではレイに四つん這いになられてたけど
序破Qすべて最後でシンジは誰かの手を握るor握られてるんだよね。
繰り返しの物語ってのはそういうことなのかね。
繰り返しの物語ってのはそういうことなのかね。
地味に貞エヴァでも手握ってるよなw
序・破・Qすべてに手を顔の上?に出して仰向けにねるシンジ君が気になる。
序は屋上・破は部屋・Qはベッドの上だったはず
序は屋上・破は部屋・Qはベッドの上だったはず
いいですねえ
>主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
これはかなり意識してそうですよね
これはかなり意識してそうですよね
まーーーったく気づかなかった!すごいね!
シンジが這って前に進むのは、全身を総動員して叶えたい想いを諦めていない姿勢を絵的に示すためと、胎児が生きる為に母体の外へ出る産道通過の儀式をイメージしているように思う
破の綾波は、同化した使徒のコアからの救出であってエントリープラグからじゃないよね
コメ欄の意見にあるように、シンジたちが自らの手で相手と繋がろうとするモチーフを繰り返し見せている意図は感じる
エヴァは繰り返しの物語というのも、Qでのアスカは破までミサトが担っていた役割を繰り返している(無自覚なシンジに対してやり場のない感情をぶつけつつも、あらゆる状況を把握してアヤナミも含めてちゃんと面倒を見ている)
破の綾波は、同化した使徒のコアからの救出であってエントリープラグからじゃないよね
コメ欄の意見にあるように、シンジたちが自らの手で相手と繋がろうとするモチーフを繰り返し見せている意図は感じる
エヴァは繰り返しの物語というのも、Qでのアスカは破までミサトが担っていた役割を繰り返している(無自覚なシンジに対してやり場のない感情をぶつけつつも、あらゆる状況を把握してアヤナミも含めてちゃんと面倒を見ている)
深いなぁ…シンジが更に好きになった
Qが路線変更されても物語の根幹は揺らいでないんだろうな。
ちょっと違うかもしれないけど、反復練習・・・ってことなのかな?
※名前: ななしさん 2013年02月11日 12:59:46
どんなストーリーになってもエヴァだよっていうことを言ってるのかな?
どんなストーリーになってもエヴァだよっていうことを言ってるのかな?
面白い考察ですね!
名前: ななしさん 2013年02月09日 23:34:45
序にこんなシーンあったなって思うくらいだから、
わざと入れてるんだろうな。
シンエヴァでも這うのだろうか?